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アイスクリームの歴史(日本編~その1~)

アイスクリームが日本に伝来してから、どのようにして現代まで親しまれてきたのでしょうか?
ここでは、江戸時代から大正時代にかけての、日本国内でのアイスクリームの歩みについて解説していきます。

 

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●江戸時代

日本人がアイスクリームを初めて食べたのは、江戸時代末期のことでした。
1860年、日米修好通商条約の批准書交換のため徳川幕府が派遣した使節団一行が、訪問先のアメリカでアイスクリームを食べたのが最初だと言われています。
その記録によると、一行はホワイトハウスでの歓迎会で出されたアイスクリームの味に、大変感銘を受けたと記録されています。
ホワイトハウスでの歓迎会
ホワイトハウスでの歓迎会

 

●明治時代

明治2年、渡米経験のあった町田房蔵が横浜の馬車道通りにアイスクリームのお店「氷水屋」を開店します。 これが日本国内での最初のアイスクリーム製造販売と記録されています。このアイスクリームは「あいすくりん」という商品名で販売されました。
原料は、牛乳、砂糖、卵黄といったごく基本的なものでしたが、値段が当時の通貨で2分(現在の約8000円)と高額だったため、外国人や一部の富裕層にしか売れず一般にはあまり定着しなかったようです。

 

その後、銀座に「開新堂」「風月堂」「函館館」などが次々アイスクリームの販売を開始。次いで「資生堂」がオープンし、アイスクリームとアイスソーダを発売します。
また、鹿鳴館では晩餐会にアイスクリームは欠かせないデザートとなるなど、アイスクリームは文明開化のシンボル的な存在となっていきます。 しかし、この時点でもまだまだアイスクリームは高価な商品というイメージが強かったようです。

 

●大正時代

アイスクリームは大正時代に突入すると、オシャレなデザートとして喫茶店やレストラン、ホテルなどで提供され始めその需要を大きく伸ばし始める事となります。
大正中期頃になるとアイスクリームの工業化が始まり、それまでは外食などで食べる事が主流だったアイスクリームが各家庭でも食べられるようになりました。

 

大正後期には、アイスクリーム専用の工場が多く建設され、富士のアイスクリーム工場での生産が開始されるなどアイスクリームの量産が盛んとなります。
また、明治乳業の前身企業である「極東練乳三島工場」の工業生産も始まります。そこで出来上がったアイスクリームは、三越などの高級百貨店などで販売されていました。

 

その後大正12年に、アメリカでアイスクリームの製造技術を学んで帰国した佐藤貢が、北海道札幌で雪印乳業の前身である「自助園農場」よりアイスクリームを発売します。
このチョコレート/ストロベリー/レモンの3色からなるアイスクリーム「自助園アイスクリーム」と呼ばれ大変な人気商品となりました。
その後、3色のアイスクリームはそのままに「ブリックアイスクリーム」として販売されています。

 

>>「アイスクリームの歴史(日本編~その2~)」へ

 

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