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アイスクリームの歴史(日本編~その2~)

アイスクリームが日本に伝来してから、アイスクリームはどのようにして現代まで親しまれてきたのでしょうか?ここからは、昭和から現代までのアイスクリームの歩みについて解説していきます。

 

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●昭和から現在にかけて

雪印乳業で昭和10年にアイスクリームの定番商品であるカップ入りアイスクリームの製造が開始され、その後のカップアイスクリームの先駆け的な存在となりました。昭和16年、太平洋戦争が始まると酪農製品などはそのほとんどが軍用物資として使用されたため、アイスクリーム製造は全面的に停止状態となってしまいます。

 

戦後、シンプルな材料と簡単な製造法でも作る事ができる事から、アイスキャンデーが人気のアイスクリームとして主流となります。昭和27年、ソフトミックスを使ったアイススティックの製造を雪印乳業が開始。アイスクリームの滑らかな感触が、硬めのアイスキャンデーにとって代わり、次第にアイスクリームへとそのシェアは移っていきました。

 

昭和28年、雪印乳業の品川工場で国内の紙カップ充填機が導入されると、ようやく日本製カップでも使用できるようになり本格的にカップアイスクリームの生産がスタート。
大阪工場生産の「赤」「青」「黄」のカップアイスクリームが人気を集めたのもちょうどこの頃。
その後、その中のひとつ「青」カップがカップアイスクリームの定番である「バニラブルー」となり現在でも製造されています。

 

昭和30年代には、現在でも製造されているコーンアイスも登場。
協同乳業が酪農先進国として知られるデンマークより、アイスクリームマシンを輸入した事で大量生産が可能となります。


またこの頃アイスクリームバーが登場。価格は10円で、アイスクリームの棒がクジになっており、当たりの刻印があればアイスクリームがもう1本もらえるというもの。この画期的なアイデアで、当時の子供たちの爆発的な人気を得る事となりました。

 

この頃よりアイスクリームは、大量生産が可能となった事でコストダウンが実現できた事や、冷凍庫付きの家庭用冷蔵庫の爆発的な普及などの理由から、アイスクリームは一般的に広く浸透していったのです。

 

昭和61年、日本アイスクリーム協会(当時は「東京アイスクリーム協会」)は、町田房蔵が横浜の馬車道通りに初めて国内でアイスクリームの製造販売を行った開業日である5月9日を、「アイスクリームの日」と制定。例年、この日にはアイスクリームにちなんだ様々なイベントが行われています。

 

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