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アイスクリームの歴史(世界編~その3~)

アイスクリームはどのようにして現代まで親しまれてきたのでしょうか? ここからは、アメリカに初めて渡り現在まで発展してきた経緯について解説していきます。

 

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●機械の開発

1870年前後頃には、製氷機がドイツで発明されます。また、アンモニアガス圧縮式の冷凍法が開発される事によりアイスクリームの工場生産が始まります。

 

●アメリカへ

アメリカにアイスクリームがいつ伝わったのかは、実は正確な事はわかっていません。
しかし1700年頃、メリーランド州知事を訪れた来客の手紙の中にアイスクリームを食べたという内容があり、これがアメリカでアイスクリームという言葉が初めて使用された記録となっています。
また1800年初頭、第4代アメリカ大統領ジェームズ・マジソンの夫人ドリーが、ホワイトハウスの晩餐会で初めてアイスクリームを給しています。これがアメリカ国内でアイスクリームをデザートとして食べた最初と言われています。

 

1846年には、アメリカの主婦が手回しのアイスクリーム攪拌機を発明。
1851年、メリーランド州ボルチモア市の牛乳商だったヤコブ・フッセルが、余った生クリームを処理するためにアイスクリームの生産を開始します。これが世界初のアイスクリーム製造工場となり、アイスクリームの産業化のきっかけとなります。

 

1890年代初め、ウインスコンシン州でアイスクリームパーラーを経営していたエド・バーナーズが、お客の注文に答えてチョコレートシロップをかけたアイスクリームを出します。
このアイスクリームは、当時の条例でクリームソーダを売ることが禁じられていた日曜日にクリームソーダの代わりに提供されるようになります。
また、また同州で同じくアイスクリームパーラーを経営していたジョージ・ギフィーも、日曜日だけサンデーを販売していましたが、常連客だった少女の希望で毎日これを販売するようになります。
また、イリノイ州のとあるバーでもやはり日曜日にチョコレートかけたアイスクリームをメニューに加えた所こちらも大人気に。これらが現在でのサンデーパフェの始まりとされています。このように日曜日にちなんだパフェアイスクリームが次々登場していきます。

 

ちなみに、サンデーの綴りが「Sunday」ではなく「Sundae」なのは、エド・バーナーズに食器を卸していた業者が綴りを間違えたという説と、キリスト教の宗教上の「安息日」である日曜日をデザートの販売名にした事で、キリスト教徒の反発をかったため綴りを変更したという説とがあるそうです。

 

1870年頃より、イタリアの移民達によるアイスクリーム屋さんが登場し始めます。氷入りの冷蔵庫を乗せた手押し車の屋台で、アイスクリームや氷菓子を売っていました。

 

1904年のセントルイス万国博覧会にて売られていたアイスクリームは、今では一般的となっているアイスクリームコーンが使われ、それをきっかけに世界的に広まります。アイスクリームのカップになりながらそのまま美味しく食べられるこのアイスクリームコーンですが、実は発案者が不明だそうです。

 

1920年~1933年の間、アメリカで禁酒法が制定されていたため14年間アメリカはノン・アルコールの国でした。この時代、多くのビール会社がアイスクリーム産業に参入。この間新技術も多く開発され様々なアイスクリームが販売されます。その代表的なものがアイスクリームをチョコレートでコーティングしたエスキモーアイスクリーム(エスキモー・パイ)

 

1921年、最初のアイスクリーム包装機が登場。同時にソフトクリームを自動的にカルトン充填ができるようになりました。
1926年にはアイスキャンデー(アメリカでは「ポプシクル」)が登場します。
1984年、レーガン大統領はアイスクリーム産業が乳業の発展に貢献したとして、7月を「国民アイスクリーム月間」、7月の第3日曜日を「国民アイスクリームの日」と制定しました。

 

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